史跡・神社仏閣・花の名所・おまつりなど
興味の赴くままウロウロした後のおぼえがき。
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免許の更新で運転免許試験場に出かけた。
そのまま帰宅するのも勿体無いので試験場から気の向くままに歩いてみた。
試験場近くのお花畑
試験場前の道路を渡ると、すぐに沢山の花々が目に飛び込んできた。
殆どがバラの花。
この時には既に花が終わりかけていたのでもう少し早く行ければもっと綺麗だったかも。
このお花畑を眺めつつ、更に運河沿いを歩いた。
途中にもいろいろな花が植えられていた。
これはゆりの花。
花色が可愛らしかったのでついパチリ。
フラフラと歩いていたら旧東海道に出た。
そのまま旧東海道を鈴ヶ森方面に歩き、涙橋の手前で一旦左折。
目的はこれ。
坂本龍馬さん。
近く(現在の第一京浜付近)に土佐藩下屋敷があり、龍馬さんもそのお屋敷にいた事があったとか。
で、この龍馬さんの像がいる所は土佐藩の砲台跡。
現地には砲台跡の大きな石も数個置かれている。
この龍馬さんの像は以前立会川駅前に砲台の石と一緒に置かれていたがいつの間にかこの場所に移動されたらしい。(私は駅前にあった時に一度ご対面している。)
龍馬さんが立っている所から運河を見ると巨大な壁が視界を塞いでいて、その壁には可愛らしいタッチの龍馬さんと黒船が描かれていた。
再び旧東海道に戻り鈴ヶ森を越えて大森海岸まで歩いておさんぽ終了。
そのまま帰宅するのも勿体無いので試験場から気の向くままに歩いてみた。
試験場近くのお花畑
試験場前の道路を渡ると、すぐに沢山の花々が目に飛び込んできた。
殆どがバラの花。
この時には既に花が終わりかけていたのでもう少し早く行ければもっと綺麗だったかも。
このお花畑を眺めつつ、更に運河沿いを歩いた。
途中にもいろいろな花が植えられていた。
これはゆりの花。
花色が可愛らしかったのでついパチリ。
フラフラと歩いていたら旧東海道に出た。
そのまま旧東海道を鈴ヶ森方面に歩き、涙橋の手前で一旦左折。
目的はこれ。
坂本龍馬さん。
近く(現在の第一京浜付近)に土佐藩下屋敷があり、龍馬さんもそのお屋敷にいた事があったとか。
で、この龍馬さんの像がいる所は土佐藩の砲台跡。
現地には砲台跡の大きな石も数個置かれている。
この龍馬さんの像は以前立会川駅前に砲台の石と一緒に置かれていたがいつの間にかこの場所に移動されたらしい。(私は駅前にあった時に一度ご対面している。)
龍馬さんが立っている所から運河を見ると巨大な壁が視界を塞いでいて、その壁には可愛らしいタッチの龍馬さんと黒船が描かれていた。
再び旧東海道に戻り鈴ヶ森を越えて大森海岸まで歩いておさんぽ終了。
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基本的に遠出する事が殆どない私。
珍しく5月16~19日に山形県の庄内地方に出掛けた。
母の兄弟姉妹と湯野浜温泉で一泊旅行する事になり、私もおみそで参加する事になったのだ。
今回は両親や伯父・伯母も一緒だったので神社仏閣めぐりは叶わないと思っていたが、幸いにも寺院4ヶ所と神社2ヶ所を訪れる事が出来た。
―5月16日―
善寶寺(山形県鶴岡市)
数十年前に“人面魚”で賑わっていたお寺。
妙達上人が草庵を結び、龍華寺と名づけたのが善寶寺の起こり。
室町時代に曹洞宗の太年浄椿禅師に至り寺屋を建立、山号を龍澤山、寺号を善寶寺と改められた。
納経印を戴いてから徒歩で10分ほどの人面魚がいると言う池に移動。
山の中にある大きな池に、確かに人面魚はいた。
それも、一匹どころか沢山。
このお寺では五重塔や山門を間近で見る事が出来なかったのが心残り。
―5月18日―
洞泉院(山形県酒田市)
宝珠山。
お寺の縁起などは今のところ不明。
・荘内八十八ヶ所霊場 第六十番
・庄内梅花観音霊場 第?番(門に付いている看板が薄くて判読出来ず。)
ご住職がお留守で納経出来ず。
門前に比較的大きな石造の地蔵が数体立っていたのが印象的。
高泉神社(山形県酒田市)
沿革などは今のところ不明。
本殿の彫刻が見事。
境内には巨大な自然石型の文字庚申塔が多数点在していた。
脇に流れる境川の水音が心地よい。
鳥居の左手前に湧水がある。
本殿の背後は山の斜面で、杉が生い茂っている。
曇天や雨天ではかなり暗くなりそうだ。
この神社は社務所がないので御朱印は戴けず。
延命寺(山形県酒田市)
生石山。
山形県指定文化財、延文四年二月十五日銘の「十二仏種子曼荼羅板碑」がある。
・庄内三十三観音霊場 第十八番
納経印を戴いてから境内をウロウロした。
石仏関連の書籍に延文四年銘の板碑が記載されていたのを見て以来、何年も実物を見たいと思ってきたので感慨深い。
板碑も素晴らしかったが、山門に至るまでの道程も路傍に石仏が点在していて歩くのがとても楽しかった。
生石神社(山形県酒田市)
延命寺と同じ山にある。
境内には白山神社と皇大神社がある。
この狛犬は阿吽像とも口許と台座の彫刻(牡丹)に彩色されている。
延命寺にある延文四年銘の板碑が納められている建物の脇にある階段をのぼると生石神社。
本殿は階段の頂上から更に左奥に入った所にある。
手水舎と本殿との間に小さな石橋があった。
この神社には御朱印がなかった。
―5月19日―
圓應寺(山形県酒田市)
縁起などは今のところ不明。
・荘内八十八ヶ所霊場 第三十六番
・庄内梅花観音霊場 第七番
このお寺にお参りしたのは早朝だったので納経出来ず。
一応門はあったが道路から直接車でも入れる開放的なお寺だったので、お参りだけは出来たのが幸運だった。
今回は圓應寺以外は両親や伯父・伯母が一緒だったので、いつものように暴走する事もなく(笑)比較的ゆったりとまわる事が出来た。
ただ、その分帰京してから見落としていた所に気づいたり。
まぁ今回は色々と抜かってしまったが、この先御縁があればまたいつか訪れる事も出来るだろう。
どうか御縁がありますように・・・。
珍しく5月16~19日に山形県の庄内地方に出掛けた。
母の兄弟姉妹と湯野浜温泉で一泊旅行する事になり、私もおみそで参加する事になったのだ。
今回は両親や伯父・伯母も一緒だったので神社仏閣めぐりは叶わないと思っていたが、幸いにも寺院4ヶ所と神社2ヶ所を訪れる事が出来た。
―5月16日―
善寶寺(山形県鶴岡市)
数十年前に“人面魚”で賑わっていたお寺。
妙達上人が草庵を結び、龍華寺と名づけたのが善寶寺の起こり。
室町時代に曹洞宗の太年浄椿禅師に至り寺屋を建立、山号を龍澤山、寺号を善寶寺と改められた。
納経印を戴いてから徒歩で10分ほどの人面魚がいると言う池に移動。
山の中にある大きな池に、確かに人面魚はいた。
それも、一匹どころか沢山。
このお寺では五重塔や山門を間近で見る事が出来なかったのが心残り。
―5月18日―
洞泉院(山形県酒田市)
宝珠山。
お寺の縁起などは今のところ不明。
・荘内八十八ヶ所霊場 第六十番
・庄内梅花観音霊場 第?番(門に付いている看板が薄くて判読出来ず。)
ご住職がお留守で納経出来ず。
門前に比較的大きな石造の地蔵が数体立っていたのが印象的。
高泉神社(山形県酒田市)
沿革などは今のところ不明。
本殿の彫刻が見事。
境内には巨大な自然石型の文字庚申塔が多数点在していた。
脇に流れる境川の水音が心地よい。
鳥居の左手前に湧水がある。
本殿の背後は山の斜面で、杉が生い茂っている。
曇天や雨天ではかなり暗くなりそうだ。
この神社は社務所がないので御朱印は戴けず。
延命寺(山形県酒田市)
生石山。
山形県指定文化財、延文四年二月十五日銘の「十二仏種子曼荼羅板碑」がある。
・庄内三十三観音霊場 第十八番
納経印を戴いてから境内をウロウロした。
石仏関連の書籍に延文四年銘の板碑が記載されていたのを見て以来、何年も実物を見たいと思ってきたので感慨深い。
板碑も素晴らしかったが、山門に至るまでの道程も路傍に石仏が点在していて歩くのがとても楽しかった。
生石神社(山形県酒田市)
延命寺と同じ山にある。
境内には白山神社と皇大神社がある。
この狛犬は阿吽像とも口許と台座の彫刻(牡丹)に彩色されている。
延命寺にある延文四年銘の板碑が納められている建物の脇にある階段をのぼると生石神社。
本殿は階段の頂上から更に左奥に入った所にある。
手水舎と本殿との間に小さな石橋があった。
この神社には御朱印がなかった。
―5月19日―
圓應寺(山形県酒田市)
縁起などは今のところ不明。
・荘内八十八ヶ所霊場 第三十六番
・庄内梅花観音霊場 第七番
このお寺にお参りしたのは早朝だったので納経出来ず。
一応門はあったが道路から直接車でも入れる開放的なお寺だったので、お参りだけは出来たのが幸運だった。
今回は圓應寺以外は両親や伯父・伯母が一緒だったので、いつものように暴走する事もなく(笑)比較的ゆったりとまわる事が出来た。
ただ、その分帰京してから見落としていた所に気づいたり。
まぁ今回は色々と抜かってしまったが、この先御縁があればまたいつか訪れる事も出来るだろう。
どうか御縁がありますように・・・。
《行程》
御茶ノ水―神田明神―(秋葉原―浦和)―調神社―寅薬師堂―玉蔵院―(浦和―大宮)―武蔵一宮氷川神社―大宮公園
神田神社(神田明神)
御祭神は大己貴命・少彦名命・平将門命。
天平二年の創建と伝わり、現在の大手町にあったが元和二年に現在地へ遷座。
調神社
御祭神は天照皇大神・豊宇気姫命・素戔鳴尊。
調宮縁起によれば第十代崇神天皇の勅命により創建。
伊勢神宮に納める貢物を納めた倉庫群の中に鎮座していたと伝わる。
寅薬師
360年高野重兵衛が建立。
目を治す仏として信仰されている。足立十二薬師の十一番札所。
玉蔵院(宝珠山玉蔵院延命寺)
平安時代に弘法大師が創建と伝わる。
御本尊は大日如来坐像。
地蔵堂の地蔵菩薩立像は平安時代末期の作で埼玉県指定有形文化財。
武蔵一宮氷川神社
御祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
第五代孝昭天皇の御代三年四月の創立。
御茶ノ水―神田明神―(秋葉原―浦和)―調神社―寅薬師堂―玉蔵院―(浦和―大宮)―武蔵一宮氷川神社―大宮公園
神田神社(神田明神)
御祭神は大己貴命・少彦名命・平将門命。
天平二年の創建と伝わり、現在の大手町にあったが元和二年に現在地へ遷座。
調神社
御祭神は天照皇大神・豊宇気姫命・素戔鳴尊。
調宮縁起によれば第十代崇神天皇の勅命により創建。
伊勢神宮に納める貢物を納めた倉庫群の中に鎮座していたと伝わる。
寅薬師
360年高野重兵衛が建立。
目を治す仏として信仰されている。足立十二薬師の十一番札所。
玉蔵院(宝珠山玉蔵院延命寺)
平安時代に弘法大師が創建と伝わる。
御本尊は大日如来坐像。
地蔵堂の地蔵菩薩立像は平安時代末期の作で埼玉県指定有形文化財。
武蔵一宮氷川神社
御祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
第五代孝昭天皇の御代三年四月の創立。
京浜急行金沢文庫駅近くの称名寺で本堂と庭園の池に架かる橋のライトアップを見て来た。
この日は3時近くに現地に到着し、昼間の池の周囲を眺めてから裏山にある百観音や八景島方面の眺望を楽しみつつ山道をグルッと散策。
その後は夕刻から日没まで、池の一角に陣取ってライトアップをひたすら眺めると言う、普通の人なら何が楽しいのかよく分からない過ごし方をしてみた。
夕方、池の畔で日が暮れるのをボケーッと待っている時にカワセミが出現した。
左の写真がその時に撮影したもの。
でも・・・独特の羽の青い色があまりよく分からない!
でもこの場に居合わせた他の方たちはカワセミには全く興味がないらしく、これを必死になって撮影していたのは私だけでした。(笑)
カワセミはとても小さくて、コンパクトデジカメではあまり綺麗に撮れません。
その上、野鳥はカメラを向けると殺気を感じるのかすぐに逃げてしまうのであまり近くには寄れません。
自分の目で直に見ながらも何とかこれだけ撮影出来ました。
この日は3時近くに現地に到着し、昼間の池の周囲を眺めてから裏山にある百観音や八景島方面の眺望を楽しみつつ山道をグルッと散策。
その後は夕刻から日没まで、池の一角に陣取ってライトアップをひたすら眺めると言う、普通の人なら何が楽しいのかよく分からない過ごし方をしてみた。
夕方、池の畔で日が暮れるのをボケーッと待っている時にカワセミが出現した。
左の写真がその時に撮影したもの。
でも・・・独特の羽の青い色があまりよく分からない!
でもこの場に居合わせた他の方たちはカワセミには全く興味がないらしく、これを必死になって撮影していたのは私だけでした。(笑)
カワセミはとても小さくて、コンパクトデジカメではあまり綺麗に撮れません。
その上、野鳥はカメラを向けると殺気を感じるのかすぐに逃げてしまうのであまり近くには寄れません。
自分の目で直に見ながらも何とかこれだけ撮影出来ました。
2月に引き続いて越生七福神をめぐりつつ山吹とツツジを楽しんだ。
《行程》
越生山吹の里―如意輪観世音堂―五大尊つつじ公園―弘法山―全洞院―龍穏寺―園通寺
山吹の里の入口
山の斜面にたくさんの山吹が植えられている。
この時は既に盛りを過ぎてしまっているのか、花数は若干淋しい。
大田道灌公の山吹の逸話にちなんだ公園らしく、園内に道灌に関する看板などもあった。
水車がとてもいい雰囲気。
ただ、とても急な斜面で登るのがとてもきつかった・・・。
五大尊つつじ公園入口付近
こちらも山の斜面いっぱいにつつじが植えられている。
こちらはちょうど見頃で、向かいの山にある山吹の里からでも色とりどりのつつじが見えた。
この斜面だけでなく、左手奥にもつつじがあり、この時はそちらの方が見頃だったらしい。
ここも斜面がきつくて一周する頃にはひざが笑っていた。
《行程》
越生山吹の里―如意輪観世音堂―五大尊つつじ公園―弘法山―全洞院―龍穏寺―園通寺
山吹の里の入口
山の斜面にたくさんの山吹が植えられている。
この時は既に盛りを過ぎてしまっているのか、花数は若干淋しい。
大田道灌公の山吹の逸話にちなんだ公園らしく、園内に道灌に関する看板などもあった。
水車がとてもいい雰囲気。
ただ、とても急な斜面で登るのがとてもきつかった・・・。
五大尊つつじ公園入口付近
こちらも山の斜面いっぱいにつつじが植えられている。
こちらはちょうど見頃で、向かいの山にある山吹の里からでも色とりどりのつつじが見えた。
この斜面だけでなく、左手奥にもつつじがあり、この時はそちらの方が見頃だったらしい。
ここも斜面がきつくて一周する頃にはひざが笑っていた。